独身と偽って交際・性交渉を行った相手(既婚者)に対する貞操権侵害の慰謝料請求や、逆にダブルトラブルとして不当な不貞慰謝料を請求された場合、示談金(解決金)を一括ではなく分割払いで合意するケースがあります。
しかし、一括での支払いが困難な相手に対して分割払いを認める場合、最大のリスクとなるのが「途中で連絡が取れなくなり、支払いがストップしてしまうこと」です。
1. 期限の利益喪失特約とは何か?
「期限の利益」とは、法律用語で「定められた期限が到来するまでは、その履行(支払いなど)をしなくてもよいという債務者側の利益」を指します。
例えば、「総額120万円を12回の分割(毎月10万円)で支払う」という合意をした場合、相手は「各月の支払期日が来るまでは、その月の分以外の残金(110万円など)を支払わなくてよい」という期限の利益を持っています。
期限の利益を喪失させる必要性
もし、この「期限の利益喪失特約」を定めずに分割払いの合意書を結んでしまった場合、相手が第2回目の支払いを滞納したとしても、原則として「その月の未払い分(10万円)」しか裁判上請求することができません。
つまり、残りの100万円については、それぞれの支払期日が到来するのを毎回待たなければならず、相手がそのまま音信不通になってしまった場合に非常に不利になります。
ここで「期限の利益喪失特約」を設定しておけば、1回でも支払いが遅れた時点で、相手はすべての期限の利益を失い、「残額の全額を一括で直ちに支払わなければならない状態」を作り出すことができます。
2. 独身偽装・貞操権侵害トラブルにおける分割合意のリスク
独身を偽った既婚者とのトラブルや、配偶者からの高額な慰謝料請求が絡むダブルトラブルにおいては、以下のような事情から分割払いが選択されることが少なくありません。
- 一括で支払うだけの資力がないため、月々の分割でしか応じられないと言われた
- 早期に紛争を解決するため、相手の支払能力に合わせた分割案に妥協した
このような状況下で口約束や不十分な合意書だけで分割を認めてしまうと、相手が「数回支払った後に連絡を断絶する」というモラルハザードを起こす危険性があります。
そのため、法的な強制力を持たせた示談書を作成することが不可欠です。
3. 実務で使われる期限の利益喪失特約の具体例
示談書(合意書)を作成する際は、どのような条件で一括請求ができるのかを明確に条文化しておく必要があります。
以下は、一般的な合意書における記載のモデルケースです。
記載例(モデル条文)
第〇条(期限の利益の喪失) 乙(支払義務者)は、前条の分割金の支払いを一回でも怠ったときは、何らの催告を要せず、当然に本契約に基づく一切の債務について期限の利益を失い、甲(権利者)に対し、直ちに残金全額およびこれに対する支払期日の翌日から完済まで年〇パーセントの割合による遅延損害金を加算した金員を支払うものとする。
この条文には、実務上極めて重要なポイントがいくつか含まれています。
- 「一回でも」: 2回目ではなく、1回の滞納で直ちに発動するように設定します。
- 「何らの催告を要せず」: 本来であれば「支払ってください」という催告(督促)を行わなければならない場合がありますが、その手間を省いて即座に一括請求できるようにします。
- 「当然に失い」: 相手からの通知を待たず、法的に当然に一括請求権が発生するようにします。
- 「遅延損害金」: 支払いが遅れたことに対するペナルティとして、法律で認められた範囲内の遅延損害金(年利3%〜5%程度、または約定利率)を上乗せして請求できるようにします。
4. さらに確実に回収するためのポイント(公正証書化のすすめ)
期限の利益喪失特約を盛り込んだ示談書をただ私文書(当事者間で署名・捺印した書面)として作成しただけでは、万が一相手が支払いを怠った際に、そのままでは差し押さえなどの強制執行を行うことができません。
強制執行を行うためには、裁判を起こして勝訴判決を得るか、最初から「強制執行認諾文言付き公正証書」を作成しておく必要があります。
公正証書にするメリット
公役人である公証人に作成してもらう公正証書の中に、「期限の利益喪失特約」と「不履行があった場合には直ちに強制執行に服する旨の陳述(強制執行認諾文言)」を記載しておくことで、裁判を経ずに相手の給与や預貯金口座を差し押さえることが可能になります。
独身偽装交際の相手や、不貞トラブルの相手が約束を守るか信用できない場合は、私文書ではなく公正証書の作成を強く視野に入れて交渉を進めるべきです。
5. 分割払いの合意や示談書作成における留意点
既婚者による独身偽装交際の被害回復や、不貞慰謝料にまつわる示談交渉では、法的に有効な書面を作成しなければ後々のトラブルの火種となり、回収不能に陥るリスクが高まります。
分割払いで合意する際は、口頭での約束や不備のある覚書で済ませず、今回解説した「期限の利益喪失特約」を明確に条文化した上で、必要に応じて公正証書を活用するなど、万が一の滞納リスクに備えた万全の法的措置を講じることが重要です。