独身偽装と刑事上の「詐欺罪」のハードル
マッチングアプリや知人の紹介などで出会った相手が、既婚者であるにもかかわらず「独身」と偽り、さらに偽名や偽の職業まで使って関係を迫ってきた――。このような裏切り行為を知ったとき、被害に遭われた方は強い怒りと共に「警察に逮捕してほしい」「詐欺罪で訴えたい」と思われるのは当然のことです。
しかし、日本の法制度において、恋愛や交際関係における騙し合いに対して直ちに刑事上の「詐欺罪(刑法246条)」を適用することは、非常に難しいと言わざるを得ません。
なぜ刑事事件化が難しいのか
刑法上の詐欺罪が成立するためには、「人を欺いて財物を交付させ、または財産上不法の利益を得る」ことが要件となります。
- 金銭をだまし取られた(貢がされた、投資名目で金を奪われたなど)場合は、詐欺罪が成立する余地があります。
- 単に「独身だと信じ込まされて肉体関係を持った」「時間や愛情を費やした」というケースでは、法的な意味での「財物や財産上の利益」の移転とは評価されにくいためです。
警察は「民事不介入の原則」を掲げることが多く、金銭の詐取が伴わない交際の騙し合いに対して捜査を行ってくれるケースは稀です。
民事上の「貞操権侵害」による慰謝料請求
刑事事件として処罰を求めることが困難である一方で、民事裁判においては、相手の行為は明確な違法行為と判断されます。
最高裁判所の判例および下級審の裁判実務においても、婚姻歴や独身であるか否かは、交際や性的関係を結ぶかどうかの判断において極めて重要な要素であると認められています。これを偽って相手に肉体関係を持たせた行為は、性的な自己決定権(自分の意思で誰と性的関係を持つかを決める権利)を侵害するものとして、貞操権侵害(不法行為:民法709条)を構成します。
貞操権侵害が認められた場合の法的効果
相手に対して、以下のような民事上の責任を追及することができます。
- 慰謝料請求: 精神的苦痛に対する金銭的賠償(慰謝料)の請求。偽名や偽の職業を用いて計画的に身分を隠していた場合などは、悪質性が高いと判断され、慰謝料額が算定される上で有利に働くことがあります。
- 弁護士費用の請求: 不法行為に基づき、裁判等で必要となった弁護士費用の一部を加害者に請求できるケースがあります。
独身偽装トラブルにおける法的アプローチと留意点
独身偽装交際の問題は、精神的なショックが大きいだけでなく、「相手の本当の身元が分からない」「どこに住んでいるのか、職場はどこなのか」といった情報不足の壁にぶつかることが少なくありません。法的責任を効果的に追及するためには、以下のような実務的対応が求められます。
- 相手の正確な身元特定に向けた法的なアドバイスおよび証拠保全のサポート
- 相手との示談交渉・内容証明郵便の作成および送付
- 貞操権侵害に基づく高額慰謝料請求訴訟の代理
ダブルトラブル(相手配偶者からの逆請求)への備え
なお、独身偽装交際の被害者が直面する深刻なリスクとして、後から「実は相手には配偶者がいた」と発覚した際、相手の配偶者から「あなたも不倫をした(不貞行為)」として逆に慰謝料を請求される「ダブルトラブル」があります。
被害者自身も「独身だと騙されていた(過失がない)」という抗弁が成立する余地はありますが、相手の配偶者との間で泥沼のトラブルに発展するケースが後を絶ちません。こうした二重のトラブルを見据えた総合的な解決戦略を持つことが不可欠です。
まとめ
相手が偽名や偽の職業を使って独身を装っていた場合、刑事罰を与えることは容易ではありませんが、民事上の貞操権侵害として高額な慰謝料を請求する道はしっかりと開かれています。身分を偽る行為は重大な不法行為であり、法的な証拠を揃えて適切にアプローチすることで、精神的・金銭的被害に対する正当な賠償を求めることが可能です。泣き寝入りせず、正確な法的知識を持って対応にあたることが重要になります。